寄稿文
高山 正也
「戦後日本 少年少女雑誌データベース」を推奨する
このほど、(株)経葉社で、「戦後日本 少年少女雑誌データベース」の作成が完成し、(株)寿限無からサービス提供が開始され始めた。広く、各位のご利用を推奨したい。

少子高齢化する資源小国・日本で今後の国策を考える上から「情報資源立国」と言う目標は必要不可欠である。20世紀の後半には世界に品質の良さと妥当な価格の工業製品を提供することで、世界第2位の経済大国にまで登り詰めたわが日本は、その国力を維持するために21世紀には情報化が不可欠と言われる。情報化とはハードからソフトへの移行であり、従来の情報化インフラとしての情報システムについても、そのハード面での整備から、その情報システムに流れる情報内容(コンテンツ)、すなわちソフトとしての情報資源の豊富さへと関心が移っている。その豊富な情報資源に裏付けられた社会や経済を形成出来るかが今後のわが国の課題になる。

情報資源とは、何も高度な学問・芸術だけに依存するものではなく、我々の日常生活や文化の中にもある。我々の日常親しんでいる情報を如何に組織化し、日々流通し、我々が日常の生活の中で接している情報を組織的に蓄積・保存し、求めに応じて利用出来るようにすることが情報資源化の基本なのである。 専門的に言えば、目録や索引を整備すること、すなわち二次資料化が出来て始めて、情報資源化が可能になる。言い換えれば、如何に、高度なコンピュータ・システムや光通信網があっても、目録や索引等のデータベースが無ければ、それは情報資源を有する社会とは言えないのである。

今ここに戦後日本の少年少女雑誌の掲載記事を対象に、検索・利用出来るデータベースが作成され、提供されるに至った。ご同慶の至りである。提供される記事とは今、日本の第一線から引退しつつある団塊の世代とその前後の世代にとっては、子供のころ、また人生で最初に目にした絵画であり、物語であり、忘れ難い経験であるかもしれない。これが再現出来、懐かしい少年少女時代に戻れる。
懐かしい物語に、漫画に、そしてグラビアにも再会が出来る。この事だけでも十分に意義のあることではあるが、この様に中・高年世代が単に子供の頃を懐かしむばかりではない。現代の文化そのものの由来を理解出来るだけでなく、日本が世界に誇る情報資源としての漫画やアニメーションの創作等、新たな情報文化の創造にとっての何よりの情報資源であり、社会基盤ともなるのである。

この様な「戦後日本 少年少女雑誌データベース」を是非ご覧・ご活用いただくとともに、若き才能がこのデータベースからの情報に触発されて、日本の新たなる情報資源の、そして新たな情報文化の更なる充実・発展に貢献してくれることを心から祈念し、併せて、このデータベースの利用を推奨したい。
高山 正也
(独)国立公文書館 理事 慶應義塾大学文学部名誉教授 著書,翻訳にマイケル・K. バックランド. 『図書館・情報サービスの理論』. マイケル・K. バックランド. 『図書館サービスの再構築:電子メディア時代へ向けての提言』. ジョン・フェザー. 『情報社会をひらく:歴史・経済・政治』.ジュリアン ウォーナー. 『本とコンピュータを結ぶ』など多数
清水 勲
「戦後日本 少年少女雑誌データベース」は漫画史研究を発展させてくれる
漫画史を研究している者にとって、いちばん大変なのは漫画雑誌の終刊号の確認と、雑誌連載漫画の最終回の確認であろう。三谷薫さんの人生を賭けた調査、研究によるデ-タベ-スの完成で、そうした情報を入手することが可能になった。国立国会図書館以外の70個所で調査したという長年の努力は、漫画史解明の新たな「研究基本情報」となっていくだろう。

著者名だけで2万人があがっているというからすごい。私も近・現代に登場した漫画家1万人を目標に整理を続けているが名寄せするとはいえ、その数は驚異的である。三谷さんは、私が長年探していた謝花凡太郎の遺族を見つけ出した人でもある。その執念には頭が下がる。また、書誌項目で「カラ-情報」があるのは先見性を感じる。いま、漫画史研究で最も遅れている分野は色彩表現論だからである。
研究者に無限のテ-マを提供するデ-タベ-スの公開がいよいよ始まる。これを利用する人たちが、次の漫画研究を発展させてくれることを確信している。
清水 勲
帝京平成大学現代ライフ学部教授 国立国会図書館納本制度審議会委員 岡本太郎美術館収集委員 習志野市文化財審議会委員 日本諷刺画史学会会長 笑いと健康学会理事/昭和館運営委員 日本漫画家協会参与/日本ペンクラブ会員 日本仏学史学会会員 日本笑い学会会員 日本マンガ学会会員 京都国際マンガミュージアム研究顧問。著書にビゴー日本素描集,ワーグマン日本素描集,続ビゴー日本素描集,ビゴーが見た日本,マンガ誕生,日本近代漫画の誕生など多数。

「清水勲のホ-ムペ-ジ」のURL http://www013.upp.so-net.ne.jp/kun-shimizu/
丸山 昭
待望のニュース
「いやー、よく完成したなあ」――これまでは自分で探し回って拾い集めるしかなかった情報が、このデータベースで一発検索が可能になった。おまけに現物の所在まで教えてくれる。こんなものが欲しかったけれども、無いものねだりだとあきらめていた。とても個人の努力では作成不可能だから、国がやってくれるのを待つしかないなと思っていたのが、ここにある! これからの研究者はうらやましいなあ。

「いやー、よかったなあ」――戦後、少年少女誌が月刊だった時代、マンガを載せている雑誌は悪書だと目の敵にされた受難の時代……雑誌やマンガ本はすぐに廃棄される運命だった。からくも生き延びた資料も、年月を経て劣化したため保存の限界に来ている。今の内にしっかり記録して残しておかないと、一度失われたらば取り返しがつかない。私たち当時の生き残りは気が気ではなかった。それがこうしてデータベースの形で記録されたのを見て安堵の胸をなでおろしている。それに加えて、今日までのデータも完備している。このデータベースは、時を経るにしたがってますます高く評価されるだろう。
丸山 昭
元講談社編集者・元講談社社友会会長。「少年クラブ」「ぼくら」「少女クラブ」(編集長)「週刊少女フレンド」(副編集長)等の編集部勤務。手塚治虫、うしおそうじ、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、水野英子、あすなひろし、上田トシコ、松本零士、ちばてつやなどを担当した。著書に『まんがのカンヅメ』(ほるぷ出版 1993年)『トキワ荘実録』(小学館 1999年)など多数。2001年「トキワ荘に集った多くの作家を育てた功績」に対して第5回手塚治虫文化賞特別賞がおくられた。
島本 浣
データベースはマンガの未来である
戦後日本少年少女雑誌データベース」サービスが(株)寿限無によって行われることになったという。平成6年からの苦労の成果だそうである。これでやっと、マンガの本家日本の面子も保たれることになった。マンガ・アニメを日本のコンテンツ産業の大きな柱とするという国の政策からすれば、このデータベースは国家事業であってもおかしくないのだ。それを長い時間かけて小さな集団がなしとげたことに頭が下がる。

データベースが知の未来にとってもっとも重要なことであることは、ぼくのように美術史をやってきた人間にはよくわかる。これまで、日本の知的情報集積への意識の遅れにどれほど歯軋りしたことか。ぼくの研究フィールドであるフランスは、さまざまな領域でのデータベース化が加速度的に進行している。そのデータに基づいて新しい知が刺激されている。

「戦後日本少年少女雑誌データベース」がマンガ研究に大きな実りをもたらしてくれることは当然だとしても、研究者はこのようなベースを使いこなす方法を若い人に伝えていく必要もあるだろう。マンガという領域が人類の新しい知として未来をもつとすれば、このデータベースを使いこなすことは、マンガの未来であるとも言えるだろう。
島本 浣
京都精華大学 学長、京都大学文学研究科博士課程(美学美術史学専攻)修了。パリ第4大学美術史・考古学研究所博士課程留学。新譜ジャーナル編集部、帝塚山学院大学を経て京都精華大学へ。専門領域:西洋美術史・美術批評史のほか、大正イマージュリィや現代アートにも急接近中。編著書:『芸術学ハンドブック』(勁草書房)『絵画の探偵術』(昭和堂)、『美術カタログ論―記録・記憶・言説』(三元社)等。訳書:『ルーヴル美術館とパリの素描』(講談社)等。
植田 康夫
児童文化研究の進展に寄与
評論家として生涯現役をつらぬき、一九七0年に亡くなった大宅壮一氏は、生前から立派な資料庫を持ち、多数の雑誌を資料として所蔵していた。それらの資料が基礎となって、大宅氏の死後、大宅壮一文庫が作られた。大宅氏は資料として役立つのは、書物よりも雑誌であると考えていたが、その雑誌は図書館があまりちゃんと保存せず、大衆雑誌や子供向けの雑誌について調べようとすると、多くの困難を伴う。

ところが、このほど(株)経葉社と(株)寿限無によって、『戦後日本 少年少女雑誌デ-タベ-ス』が十四年がかりで構築され、インタ-ネットで公開されることになった。一九四五年からニ00七年までの間に発行された少年少女、青年雑誌に関するデ-タを二期に分けて収録しているが、雑誌タイトル数は一ニニ一誌に及び、創刊年月日や終刊年月日なども調べられており、また雑誌の所蔵先なども調べられている。発行当時は部数が多かったのに現物があまり残っていない少年少女雑誌の存在を確認するための手がかりとなるデ-タベ-スを、気の遠くなるような作業によって完成され、インタ-ネットで公開されることによって児童文化の研究が進展することを祈りたい。
植田 康夫
元上智大学文学部新聞学科教授。元日本出版学会会長。現在、(株)読書人編集主幹。著書に「現代マスコミ・スタ-」「現代の出版」「ベストセラ-考現学」「売れる本のつくりかた」など。上智大学文学部新聞学科卒。一九三九年生れ。島根県出身。
吉村 和真
広く、そして、深く
近年、二つの意味で、マンガ研究は広がりを見せている。

一つは、学術領域として。マンガ史をはじめ、社会学、教育学、心理学、メディア論、思想史、美術史など、さまざまな領域でマンガを研究対象とする事例が増えている。
もう一つは、活動の場として。私が勤務する京都精華大学を含む国内外の複数大学で、さらには高校や中学校でも、マンガを論じたり調査したりする試みは拡大している。

これらはいずれも1990年代後半ごろから目立ってきた動向だが、それとほぼ同じ年月をかけて構築されてきたのが、この「戦後日本 少年少女雑誌データベース」である。足掛け20年にわたる、文字通りの「労作」であり「偉業」である。

「マンガとアカデミズムの接近」や「日本マンガの海外進出」がジャーナリスティックに騒がれ、マンガに対する世間の関心が高まる中、そうした華やかな状況とは対照的に、ひたすら地道に、堅実に、そして丹念に、日々蓄積され続けてきた。

本データベースの公開によって、今後のマンガ研究に、「広がり」だけでなく「深まり」が加ることはまちがいない。地に足が着いたマンガ研究の次のステージがスタートすると言っても過言ではないだろう。

この場をかりて、三谷氏、秋田氏をはじめすとする関係者の皆様に、最大限の敬意とお礼を表するとともに、以後のさらなる成果の蓄積を待望するものである。
吉村 和真
京都精華大学マンガ学部准教授、京都国際マンガミュージアム国際マンガ研究センター研究統括室長。専門は思想史・マンガ研究。主著に、『「はだしのゲン」がいた風景―マンガ・戦争・記憶―』(編著、梓出版、2006年)、『差別と向き合うマンガたち』(共著、臨川書店、2007年)など。「マンガを読む」という行為が日常に定着するまでの歴史と、その行為が人間の思想や感性・行動様式に与える影響について研究中。
宮本 大人
「戦後日本 少年少女雑誌データベース」を推薦します
「戦後日本 少年少女雑誌データベース」、なんともすごいものが登場した。戦後日本の大衆文化、児童文化全般に興味を持つ全ての人に有用なツールであることは言うまでもないが、ここではマンガ史研究にとっての有用性を述べたい。

 日本のマンガの歴史を考える上で、その掲載媒体としての雑誌全体を見ることの重要性は、どれだけ強調しても強調し過ぎることはない。今でこそ、「マンガ雑誌」と言って差し支えない比率で、誌面のほとんど全てをマンガが占めている雑誌は、数多く存在するが、ほんの数十年さかのぼれば、少年少女向けの総合娯楽雑誌の中の一つのコンテンツとして、マンガが活字の小説や絵物語、写真記事などと並列で存在していた状況に行き当る。

 そうした中から、今日の目で見て「マンガ」に当たるものだけを抽出し、抽出された「マンガ」だけを対象にしてその歴史を語ってしまうと、マンガというジャンルの生成・発展の要因や、マンガがその時々において、どのような位置付けをされていたかが、見えなくなってしまう危険がある。

 今回リリースされる「戦後日本 少年少女雑誌データベース」の素晴らしい点は、単に、誰がいつどんな雑誌に何という作品を発表していたかが、極めて高い網羅性のもと、たちどころに検索できてしまうだけでなく、採録対象誌の内容の細目を、ジャンルの分け隔てなく全て収めているというところにある。

 すなわち、たとえば手塚治虫が「リボンの騎士」を連載していた当時、『少女クラブ』は全体としてどのような誌面構成になっていて、マンガ以外のコンテンツも含めて、どのような作家がどのような作品を掲載していたかを知ることができるのであり、その情報をもとに、当時の文脈の中での手塚の位置や、手塚が影響を受けたり意識したりしていたかもしれない作家や作品や状況を、推し量る作業を始めることができるのである。 こうした作業は、今まで、国立国会図書館、国際子ども図書館、大阪府立国際児童文学館などごく限られた数のアーカイブに通って原資料としての雑誌本体に当たらない限り、「見当をつける」ことさえ困難だったのだが、このデータベースのおかげで、実際に原資料を見る前に、ある程度の計画を立てることが可能になり、研究の効率は飛躍的に向上すると考えられる。

 また、このデータベースでは、関係者への長年にわたる聞き取り調査をもとに、当時の実際の編集長が誰だったかも情報として採録されている。雑誌そのものを誰がどのように作っていたか、という今までごくわずかな「名物編集者」のエピソードを除けば、ほとんど手つかずだった研究領域についても、その手掛かりを与えてくれるのである。出版史、マンガ産業史の観点からも非常に有意義なことだと言える。

 上に述べてきたような本格的な研究のためにでなくとも、自分の好きな、あるいは興味のある作家や作品の検索をきっかけに、雑誌の目次を眺めていくだけでも、ああ、こんなマンガあったあった、と思い出したり、えっ、この人この頃この雑誌に描いてたんだ?と発見したりするのは、それだけでも十分楽しいことだ。

 マンガの歴史に少しでも興味のある方には、まずはFREE版でその威力の一端を垣間見ることを強くお薦めする次第である。
宮本 大人
北九州市立大学文学部准教授。日本マンガ学会理事。(仮称)北九州市漫画ミュージアム基本コンセプト検討委員。夏目房之介らとの共著に『マンガの居場所』(NTT出版)、論文に「マンガと乗り物―『新宝島』とそれ以前―」(霜月たかなか編『誕生!「手塚治虫」』所収)、「ある犬の半生―『のらくろ』と〈戦争〉―」(『マンガ研究』第2号所収)等がある。
夏目 房之介
素晴らしすぎて言葉もない!
 マンガ史研究が本格的に始まろうとする、この時期に、マンガ、児童文化、大衆文化の研究になくてはならないデータベースが登場した。この大仕事は、これからみんなで育てていける宝の山なのだ。
夏目 房之介
学習院大学大学院人文科学研究科身体表象文化学専攻の教授。『手塚治虫はどこにいる』(筑摩書房)、『おじさん入門』(イースト)、『とんでるバカ本1』『とんでるバカ本2』(廣済堂)、『消えた魔球』―熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか(新潮社)、『マンガに人生を学んで何が悪い?』(ランダムハウス講談社)、『孫が読む漱石』(実業之日本社)、『マンガ世界戦略カモネギ化するかマンガ産業』ほか多数。1999年、第3回手塚治虫文化賞マンガ特別賞受賞(マンガ批評の優れた業績に対して)
呉 智英
マンガ研究にとって資料の未整備は長い間一番の障害であった。
 マンガ研究にとって資料の未整備は長い間一番の障害であった。個人の資料収集には限界があり、図書館などに頼ろうにもマンガ資料を収集している施設は限られている。つい二次資料に依拠することになり、間違いも生じがちであった。
 しかし、このたび朗報がもたらされた。三谷薫氏と秋田孝宏氏が長年収集整理してきたマンガ資料の情報がデータベースとして公開されることになった。マンガ資料の情報は日に日に新しく集められ修正改訂されてゆかなければならない。電子媒体のデータベースであれば、データ更新への対応も万全である。両氏の努力の上にマンガ研究がさらに発展することを望みたい。
呉 智英
評論家。日本マンガ学会会長、東京理科大学ほか非常勤講師、京都国際マンガミュージアム研究顧問、川崎市市民ミュージアム資料収集委員。
現代マンガ図書館館長 内記 稔夫
「少年少女雑誌データベース」公開に寄せて
「マンガ」は、われわれ日本人の身近な存在であり、生活の一部ともなって馴れ親しんでいる。今や欧米から東南アジアの各国にいたるまで、世界中に普及し「MANGA」が国際語になり、マンガはアニメと並んで世界に誇る日本の文化といわれるまでになった。  このようなマンガの発展は、もう既に永い歴史を持ち、時の流れと共に培った先人の創意工夫と努力の積み重ねの上に築かれたともいえるのである。
 戦後からのマンガの変化を振り返ってみると、戦後の混乱期に盛んとなった街頭紙芝居。そこから派生した「絵物語」をメインに創刊された「少年少女雑誌」。関西方面(特に大阪)を中心に生まれた「赤本マンガ」。そこからの手塚治虫の衝撃的なデビュー。その後の「貸本マンガ」から派生した「劇画」。月刊誌の絵物語や小説などの、読み物主流から、よりビジュアルなストーリーマンガへの重心の移行。各誌の「別冊付録マンガ」合戦の展開。
 やがてテレビ時代に入ってからの、「少年少女週刊誌」の創刊。人気マンガのテレビアニメ化。新書判コミックスの発刊。そしてジャンルの多様化による、文学にせまるマンガの登場、少女マンガの内面的な心理描写、実験マンガや難解マンガの出現。など様々な流れと現象を経て今日に至っている。
 このような経緯を検証する手段の一つとして、欠かせないのが書誌であり、雑誌のデータベースである。この度出来上がって公開されることになった「少年少女雑誌データベース」は、大変な労作と思われる。それは、今からつい数十年前まで、マンガは悪書といわれ、低俗なものと蔑まれていたためか、現存するマンガ関係資料の収集・保存の分野は、全くお粗末な状況である。現実には一部の機関の、一部のこだわりのある人々に支えられて、収集保存されている。各地に散在する資料を見つけ出してデータを拾う作業は生易しい仕事ではなかっただろう。そんな中で大阪府のように、貴重な資料が収蔵されている国際児童文学館の存続が危ぶまれる出来事や、肝心の国立国会図書館では、驚くことに現在のコミックスは、カバーや帯が捨てられて、中身の白っぽい表紙で保存されているのである。このように、世間的には、まだまだマンガの収集・保存についての理解が充分されていないのが原状である。マンガが世界に冠たる日本の文化というならば、国家的な機関でシッカリ収集・保存されるのが当然のことであり、関係各省庁や行政機関なども、もっとマンガ研究の重要性を認識し、理解されることを願っている。
 このように「少年少女雑誌データベース」は、作成に当たった担当者の長年に亘る地道な努力とこだわりに支えられた根気があったればこそ完成したものと拝察している。こだわりの一つとしては、書誌の裏づけを採るために当時の編集関係者への取材なども行なったと聞き及んでいる。このような内容の濃い資料は今までマンガ史の中でも謎とされていた部分の解明や、その当時の状況など新たな発見にも繋がるものと確信している。今後は複数のペンネームを持つ作家の名寄せなども行うと聞いているので、こちらの方も是非早めに着手されて、出来ることなら貸本マンガや貸本短編誌にまで、範囲を拡大されることを期待している。作成、有難う、ご苦労さまでした。公開、おめでとう。
内記 稔夫
1937年東京都生まれ。18万冊のマンガを所蔵する私設図書館「現代マンガ図書館」館長(東京都新宿区)。京都国際マンガミュージアム研究顧問。高校3年生の時、貸本屋「山吹文庫」を開業。1978年に「現代マンガ図書館」設立。1997年、第1回手塚治虫文化賞特別賞を受賞。日本マンガ学会理事。全国貨本組合連合会理事長。著書に『神様手塚を読む』(小学館・共著)など。
細萱 敦
リアルタイムのオーラよ蘇えれ!
少年・少女マンガをもはや空気の如く呼吸してきた戦後生まれの研究者やマンガファンの方々。世に傑作、ベストセラー作品は数々あれど、その登場した当時の興奮に如く体験ほどのものはないでしょう。

これは後になってからのことで、リアルタイムではないのですが、少女マンガ展絡みの調査で山岸凉子の「日出処の天子」周辺を調べていたところ発見しました。『LaLa』の連載開始直前の予告のページには“伝説の聖徳太子に挑む!”みたいなあおりは載っていたのですけれども、そこにはイメージというものが全くなかったのです。当然「1万円札のあのヒゲの人を?」とファンは思っていたに違いない。そこに持ってきて、満を持してあの魔性の美系で男色の超能力者の登場となったわけです。これにはみんなビビったのではないでしょうか。

私自身にとってのリアルタイムは、学生運動のシンパだったおじさんの家で70年代初めの『少年マガジン』『サンデー』を読み漁っていた小学生時代。「バカボン」はすでにやっていて、谷岡ヤスジの鼻血ブー!の襲来、父親をイビっていいのかと仰天した「ダメおやじ」、などというギャグの波状攻撃。そのギャグマンガ家だったはずのジョージ秋山が「アシュラ」で、ギャグマンガ家になるはずの山上たつひこが「光る風」「旅立てひらりん」で描いていた地獄絵や、早くも少年マンガで悪逆非道の限りを尽くしていた不良高校生「ワル」も経験しました。当時のマセつつあったガキは、これらだけではなく、大伴昌司なんて仕掛け人が作っていたグラビアの怪しいビジュアルと情報に育てられたといっても過言ではありません。そんな環境のおかげで『ガロ』やつげ義春体験もそのとき済ませてしまいました。ちなみにさすがに「ハレンチ学園」の単行本だけは戸棚の置くに隠してあったらしいけれども…。

こんなような美味しい体験を、他の世代のマンガファンの皆さんにも味わってもらうべく、このデータベースを案内図とされた図書館・資料館巡りをお薦めします。単行本派のあなた!。愛読する作品が本来まとっていた大事なオーラを知らずに済ますなんて!?。世界に冠たるコンテンツ産業なんて騒いでいるお偉いさんたち、今まで何がマンガ・アニメを支えて盛り上げてお祭り騒ぎにしてきたか、もっと知見をひろめるべきではありませんか?研究者のお仲間さんたちには、言わずもがなですね。
細萱 敦
東京工芸大学芸術学部マンガ学科准教授。マンガ研究家。川崎市市民ミュージアム学芸員として数多くのマンガ展を企画。日本マンガ学会理事。主な編著書に『日本マンガを知るためのブックガイド』『アジアMANGAサミット』等。手塚治虫文化賞、読売国際漫画大賞の選考委員を歴任。海外マンガ事情に精通。
水谷 長志
手塚治虫展以来の憧れ-マンガのドキュメンテーション
  1990年、東京、名古屋、神戸、福岡を巡回した手塚治虫展で担当者の一人に加わったことがある。国立の近代美術館がマンガを取り上げた、という風な驚きをもって迎えられたが、担当した方は、「イメージ思想家」手塚の表現者としての姿を原画中心の展示において示す、を目標に汗を流した。いまならデジタルアーカイブの技術を駆使してインタラクティブな端末を用意するのだろうが、まだそんなタイミングではなかった。展示と並んで、あるいはそれ以上に苦心惨憺したのがカタログの編集、執筆ならびにドキュメンテーションの部分であった。
  館内外の執筆者7名総がかりで当たったカタログは、345x250x25mm、348p、1.5kg超となり、近代美術館始まって以来の大判かつ今では最も古書価格の高いカタログだ。
  私の役割の多くは巻末の資料編(年譜・作品データ、参考文献など)だったが、一人でできるはずもなく、データソースのほとんどは、手塚治虫プロダクションのアーキビストであり歩く手塚百科ともいうべき方から頂いた。この手塚展に先立って講談社現代新書に『手塚治虫-時代と切り結ぶ表現者』を上梓した桜井哲夫氏から「実に見事な出来ばえを示すカタログ(年譜、作品リストだけでも十分に価値がある)」(朝日夕刊'90/7/30)と書いていただき、件のアーキビストと喜んだ。以来一貫してマンガのドキュメンテーションの難しさ、面白さに憧れのような感情を抱いてきた。
  その思いが巡りめぐって、京都精華大学と京都市のジョイントで2006年に開館した京都国際マンガミュージアムにおいて、今年6月、アート・ドキュメンテーション学会は、「物語るアート・ドキュメンテーション」と題するシンポジウムを開くことになった。
  絵画・彫刻など静的オブジェを主役とする文脈から進行してきたアートのためのドキュメンテーション、アート・ドキュメンテーションの世界から一歩踏み出し、マンガを含んで、時間を伴う、コンテキストを孕む、物語を伴うような芸術のためのドキュメンテーションを模索するシンポジウムとなるはずだ。このシンポジウムのねらいの一つは、「イメージとテキストの交感」の場にふさわしいドキュメンテーションの可能性を探ることにある。考えてみるまでもなく、「イメージとテキスト」のめくるめく交感を初めて体験したのは、あの懐かしいマンガ雑誌においてに他ならない。
  アート・ドキュメンテーションの対象とする領域がこれまでよりもぐっと広がる可能性があっても、ドキュメンテーションはドキュメンテーションだ。そこに通底し基本にあるのは、地道、誠実、堅実、丹念で、しかも息切れせずに歴史の一画を感じながら進める記録化(歴史化)の作業(ドキュメンテーション)であることはかわらない。
  その見事な具現の実例が、ここに「戦後日本 少年少女雑誌データベース」として誕生したことを喜ぶとともに、とりわけ今後のマンガ史研究に大きく寄与されるだろうことを願っている。
水谷 長志
独立行政法人国立美術館情報企画室長/東京国立近代美術館情報資料室長、アート・ドキュメンテーション学会副会長。著書に『図書館文化史』(勉誠出版、 2003)、「矢代幸雄の美術図書館プラン」(『図書館情報学の創造的再構築』所収)ほか、美術図書館学、アート・ドキュメンテーションに関する論文など多数。2007年、第9回図書館サポートフォーラム賞受賞。
小野 耕世
児童文化研究のための画期的なツール
 いま、海外で、日本のマンガの研究家が増えている。彼らのなかには、現代のマンガはもちろんのことだが、古い日本のマンガに関心を持つ者も多い。私自身も、例えば1950年代のマンガ資料をかなり集めてきてはいるが、海外の研究家に見てほしいマンガ単行本や雑誌が、じゅうぶんそろっているわけではない。古書展をまわったり図書館に通ったりしてきたのだが、古い児童雑誌は私の体験でも読みすてにされてきたのが普通だし、保存されていても各地の図書館などにばらばらにあることが多い。今度、「戦後日本 少年少女雑誌デ-タベ-ス」が製作された。なによりも嬉しいのは、どこに行けばなにが保存されているか、すぐにわかるからだ。例えばあるマンガがどの雑誌にいつからいつまで載っていたか―タイトルからでも作者名からでも検索することができるし、雑誌の各号の目次も知ることができる。データベース製作関係者の努力に頭がさがる思いだ。
 あまり知られていないのだが、戦後の少年少女雑誌には、けっこう多くのアメリカのマンガが翻訳されているのである。50年代の「少女クラブ」には、私がアメリカのコミックブックで親しんでいた人気マンガ「リトル・ルル」が、「ルルーちゃん」のタイトルで連載されていた時期がある。このデ-タベ-スを利用すれば、その期間もすぐにわかる。私が、子ども時代に夢中になり、もちろん失くしてしまった多くの雑誌になにが載っていたか、特に、いまはない小出版社から刊行されていた少年少女雑誌のデータは貴重である。
 いま、マンガを含む日本の戦後児童雑誌の歩みは、海外のそれと照応してみる意義があろう。日本の児童誌(新聞も)は実に多彩だ。この分野で、日本は海外に誇っていい独自の優れた世界を築いてきている。内外の研究者たちにとって、このデ-タベ-スは、さまざまな発見に導く画期的なツールとしてなによりも有用であろう。
小野 耕世
漫画評論家、海外コミック・アニメーション研究家、映画評論家、海外コミック翻訳家、日本マンガ学会理事、国士館大学21世紀アジア学部客員教授。日本における海外コミックの翻訳出版および研究、紹介の第一人者。長年の海外コミックの日本への翻訳出版、紹介と評論活動が認められ、第10回手塚治虫文化賞特別賞を受賞している。著書に『バットマンになりたい ― 小野耕世のコミックス世界』(晶文社、1974年)、『ドナルド・ダックの世界像 ― ディズニーにみるアメリカの夢』(中央公論社、1983年)、『中国のアニメーション ― 中国美術電影発展史』(平凡社、1987年)、『世界のアニメーション作家たち』(人文書院、2006年)など。翻訳書にバッド・サゲンドルフ『ポパイ・ザ・セイラーマン』(講談社、1976年)、ウィンザー・マッケイ『夢の国のリトル・ニモ』(パルコ出版、1976年)、アート・スピーゲルマン『マウス』『マウスⅡ』(晶文社、1991-94年)、ジョー・サッコ『パレスチナ』(いそっぷ社、2007年)など。
森川 嘉一郎
誰がそれを最初に成すか
 あらゆる分野にいえることだが、いずれ誰かが最初の一歩を踏むとはいえ、誰がそのパイオニアとなるのか、その先駆者の志や見識によって、分野の未来が大きく左右される。漫画の書誌学、そしてデータベースの構築において、それが経葉社の三谷氏と秋田氏のチームであったことは、今後の漫画や児童文化の研究にとって、非常な幸運だ。それは、実際のデータベースを使ってみれば実感されるはずだ。

 本来このような、国の文化の基礎研究にとって共有される価値が高く、また収益性の低い事業は、公共機関が行ってしかるべきである。しかし、では、通常の書誌学の訓練を受けたスタッフと潤沢な予算を投じれば同じものを作ることができるかといえば、それは無理である。資料に掲載されていない編集者の情報を、取材によってしらみつぶしに突き止 めていくことなどは、書誌学とともに漫画に対する幅広い知識と、それに基づく強力なコンセプト、そして尋常ならざる意志によってしか、不可能である。

 そこに編纂された膨大なデータはもとより、データベースに仮託された理念もまた、漫画や児童文化の研究で、さらなるパイオニアの誕生を促すはずだ。
森川 嘉一郎
明治大学国際日本学部准教授、桑沢デザイン研究所特別任用教授。著書に『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』(幻冬舎、2003年)、『建築・都市の現在』(共著、東京大学出版会、2006)など。ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展日本館コミッショナーとして「おたく:人格=空間=都市」展を制作(日本SF大会星雲賞受賞)。